Server
このブログを書いているのはもう11月の尻尾(11.30)。わざわざ確認した。8月に自前のMisskeyを閉じてvnil.deに戻った。そのときブログは博客園に移した(記憶が正しければ…)。当時自分のホストが届いて(母が買ってくれた、母ありがとう)、直面した問題は二台のパソコン間でブログをどう同期するか。以前Obsidian上のノートはGithubに自動同期していたけど、git pushしてまたgit pullする方法は煩雑で優雅じゃない。考えてNotionに戻した。一台しかなかったときは遅延が耐えられなくてNotionからObsidianに移したし、画像アップロードにもサイズ制限があった。でも今は新しい問題(二台のノート同期)に直面している。状況が違えばより良い解を考える。だからNotionに戻すのは合理的だと思う。使ってみるとNotionが以前より速くて、より使える。本当に思いがけない喜び。それから自分のサーバーを閉じた。ひとつは出費を抑えるため、もうひとつはサーバーが負担に感じられて、心理的にもう少し楽になりたかった…NobeliumプロジェクトでNotionのデータベースから静的ブログを生成してVercelにホストし(たぶんそう)、自分のドメインを結び、元ブログの記事をいくつか移す(たくさん捨てた。数式が多いもの、Notionの数式構文が普通のmarkdownと違う…図が多いもの…フォーマットを直すのが面倒なもの…まあいい、また書けばいい), ブログの移行は終わった。理想のブログは、エネルギーを全部中身を書くことに使えて、他の抵抗が最小になること(だから以前博客園に移した…)。今のブログの状態が理想だ。実はこの記事はサーバーを閉じてブログを移した直後にNotionでpageを作ってタイトルまで書いてあった。でもなかなか筆が進まなかった…今日は別のきっかけで、書きたいことを全部まとめて書いていいと思った。
Fedi
このところFediをよく使っている。思いついたことを随筆で書いたり、日常を記録したり、アニメを見ながらスクショをFediに上げたり。以前のFediの使い方を変えた(大量に投稿し始めた)。細かいことが友たちのタイムラインに頻繁に出て邪魔している。困っているかどうかは分からない哈哈哈。だから自己紹介に「リムーブご自由に」を足した。今までリムーブしていない友たちにもありがとう。アニメを見ながら本当にたくさん投稿した。数日前、SNSが脳の報酬回路を変えるという話を見て、自分も少し影響されていると感じた。WeChatとFediを不定期に見る習慣がついているみたいだ。自分でも調整はしてきた。WeChatの朋友圈を切った(今日も我慢できずに朋友圈を一瞬開いてしまったけど…)、小紅書はアンインストールした(これはとっくに消した。食事の店を探すときはウェブ版。これはまあまあできている。小紅書で時間を無駄にしていない)、できるだけ維持したい。注意をしょっちゅう切られないように。これからコードを書くときや勉強しているときは、できるだけFediを開かない。
Blog
昨日Faker不死者の記事を見てすごく好きだった。虎撲フォーラムのページで読んだ(あまり好きじゃない)。好きな記事をブログに転載して自分用に残しておけないか、と思った。今日その考えがさらに広がって、ブログでコンテンツを「集約」できるのでは、と。たとえば以前Fediに上げたアニメ視聴の投稿は、記事にまとめられる。そうすればFediを邪魔しないし、内容もより完結して、断片的でなくなる。ブログは完全に自分の場所。誰かが見るかどうか心配しなくていい。整理して文章を書く過程の受益者は完全に自分だから。だから以前のFediの内容(たとえばカウボーイビバップのスクショ)を救済して、まとめてブログに出し、この先文章にできるもの(細切れでないもの)もブログに出すつもり。
AI
退屈な課題や退屈なテキストを書くとき、GPTは本当に助かった。Cursorもコードを書くとき大いに助けてくれた。問題にぶつかると、今の第一反応は習慣的にGPTに聞いて、それから検索エンジンで検索する。でもだんだん気づいた。cursorでコードを補助してもらうと、コードの印象がぼやけ始めた。はっきり覚えているのは、ある夜ベッドに横になって、昼間cursorの助けで生成したコードを思い出し、ある変数が使われていないから置き換えられるのでは、と思って、翌日コードを確認したら変数は使われていて置き換えられなかった。そういうことがもう一、二回あった。これじゃダメだと思ってcursorを消した。ここ数日ChatGPT4を使って、GPT4が馬鹿になったのに気づいた。pdfと画像も読めない。第一反応は他のGPTに助けを求めることだった。
気づいたのは、GPTが生成した内容を自分で直す(あるいはGPT)となると、軽い恐怖が出て、なかなか手が動かない。依存が出て、怠惰になっている。一番大事なのは考える過程と問題を解く思路だ。AIに答えを出させたら、自分の能力は退化して、より脆くなる。
だからAIを使う場面は厳しく制限しないと。レポートを水増ししたり退屈な課題を水増ししたりするときはGPTを使っていい。GPTはそういうためのものだ。それで重要なことを考える時間を節約できる。勉強するときはGPTで理解を助けてもらったり、拡張してもらったりしていい。でもコードを書くときは絶対GPTを使ってはいけない。優秀なプログラマになる人間なんだから!
翻訳ソフトへの依存とAIへの依存は同じ理屈だ。今も気をつけていて、かなり改善した。英文を読むのが速くて良くなった気がする(錯覚?錯覚じゃない)。とにかく続ける。
In the End
今日ブログを書いて、明らかに手が鈍い。最初の一回で文が通らない。GPTに慣れたことと、長いこと書いていないことにも関係がある気がする(主には自分が長く書いていない?でもGPTへの警鐘は鳴らしておく)。私たちの生活は習慣でできている。だからいつも自分に言い聞かせたほうがいい。
これは年末総括の練習にもなる。もう言わない。Fediの内容を整理しに行く。